1: 名無しさん:2021/12/11(土) 13:38:32.48 ID:CAP_USER.net
「一目惚れしちゃった!」言葉も話せないままセブ島へ
中澤さんが地元高知市からセブ島へ移住したのは2011年3月下旬のこと。東日本大震災の直後だった。
話が少しややこしくなるが、実は中澤さんの現在の妻は3人目である。1人目は28歳の時に結婚した日本人女性で、数年後に離婚した。子供はできなかった。
その次が前妻に当たるフィリピン人女性である。知り合ったのは、高知市内でタクシー運転手として働いていた2000年頃、足繁く通ったフィリピンパブに勤める女性、バンジーを介してだった。
そのバンジーからある時、「田舎の女の子を紹介してあげようか」と持ち掛けられ、中澤さんは50歳目前の頃に、フィリピン中部のシキホール島まで足を運ぶことになったという。この島はセブ島の南に浮かび、薬草を調合して病気を治す黒魔術師がいる神秘的な島として知られる。
その島で紹介してもらったのはバンジーの姪っ子で、当時18歳という若さだった。
「その子を見て一目惚れしちゃった!」
と言う中澤さんは島に1ヵ月滞在することになる。その間にバンジーを通訳として姪っ子の両親に結婚の意思を伝え、承諾されたのだという。
日本に戻ってからは、再び通訳を介して国際電話でのやり取りが始まった。数ヵ月後、今度は一人でシキホール島へ向かった。
「よくも1人でのこのこと来られたなあと。言葉も分からないおっさんが」と中澤さん自身もそう回想するが、すでに訪れた経験があるとはいえ、かなり無鉄砲な行動である。
その時に、結婚手続きを済ませ、相手の生活費、旅券や結婚ビザの取得費用として現金70万円を渡し、中澤さんは1人、日本へ帰国した。そして、日本にやって来た前妻を関西空港に迎えに行ったのはその半年後のことだ。
「彼女は1人でボストンバッグを持って降りてきました。私の顔を見てニコッと笑ったわけよ。それから日本での新婚生活が始まったんです。嘘のような本当の話でしょ?」
順調な生活スタートかと思われたが…目を疑う光景
2人は高知市内の家で暮らした。前妻はやがて市内のフィリピンパブで働くようになり、息子が生まれ、夫婦3人での再婚生活は順調だった。
かねてから老後はフィリピンでの生活を考えていたため、中澤さんの意向で前妻と息子が先にセブ島へ渡ることになる。そして自宅を建てるための送金を始めた。
「仕事を引退して年金が下りるようになったらこっちに移住しようと思うてました。私の年金額は、一般的に言われる月額平均25万円にはとても及ばない。だから、持ち家があっても日本で十分に暮らせない。それやったらフィリピン人妻もいるから、持ち家を処分してフィリピンに家を買って生活するのが一番ええなあと思うてました」
65歳までの中澤さんの年金支給額は、月額換算で12万円。平均額の半分にも満たない。日本で生活ができなくはないが、老後を贅沢に楽しむ余裕はなかった。
一方のフィリピンでは、物にもよるが物価は3分の1~5分の1程度。たとえばコンビニで買う瓶ビール1本(330ml)は30ペソ(約80円)、マクドナルドのバリューセットが100~200ペソ(約270~約540円)などとなっており、経済成長を続けるフィリピンの物価は上がっているとはいえ、日本料理店やフィリピンパブ、あるいはゴルフ場に毎日通って散財しなければ、中澤さんの年金額でも十分に暮らしていける。
(※) 現地の物価は本書が刊行された約6年前のもので、フィリピンペソの日本円換算レートは2015年7月現在(1ペソ=約2.7円)のレートで計算しています。
だからフィリピンであれば少しは楽な暮らしを送れると思ってのことだったが、東日本大震災後、中澤さんがセブ島に住み始めると、前妻とフィリピン人男性がいつの間にか子供を作っていたことが発覚した。
見たこともない子供を抱きかかえている前妻から「友達の子供だよ」と伝えられたが、不審に思って問い詰めると白状したのだ。
結婚してから妻の実家へ毎月10万円の送金を欠かさなかった生真面目さを後悔したが、すべて後の祭りである。つぎ込んだ額は日本円にして500万円ほど。
間もなく婚姻解消を裁判所に申し立てた。フィリピンには離婚制度が存在しないため、婚姻の解消を裁判所に申し立てなければならない。代行業者などによると、手続きには通常日本円で50万円前後が必要という。
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/e850f5205a8f4f05567bf5c99ec653d65a794be7
中澤さんが地元高知市からセブ島へ移住したのは2011年3月下旬のこと。東日本大震災の直後だった。
話が少しややこしくなるが、実は中澤さんの現在の妻は3人目である。1人目は28歳の時に結婚した日本人女性で、数年後に離婚した。子供はできなかった。
その次が前妻に当たるフィリピン人女性である。知り合ったのは、高知市内でタクシー運転手として働いていた2000年頃、足繁く通ったフィリピンパブに勤める女性、バンジーを介してだった。
そのバンジーからある時、「田舎の女の子を紹介してあげようか」と持ち掛けられ、中澤さんは50歳目前の頃に、フィリピン中部のシキホール島まで足を運ぶことになったという。この島はセブ島の南に浮かび、薬草を調合して病気を治す黒魔術師がいる神秘的な島として知られる。
その島で紹介してもらったのはバンジーの姪っ子で、当時18歳という若さだった。
「その子を見て一目惚れしちゃった!」
と言う中澤さんは島に1ヵ月滞在することになる。その間にバンジーを通訳として姪っ子の両親に結婚の意思を伝え、承諾されたのだという。
日本に戻ってからは、再び通訳を介して国際電話でのやり取りが始まった。数ヵ月後、今度は一人でシキホール島へ向かった。
「よくも1人でのこのこと来られたなあと。言葉も分からないおっさんが」と中澤さん自身もそう回想するが、すでに訪れた経験があるとはいえ、かなり無鉄砲な行動である。
その時に、結婚手続きを済ませ、相手の生活費、旅券や結婚ビザの取得費用として現金70万円を渡し、中澤さんは1人、日本へ帰国した。そして、日本にやって来た前妻を関西空港に迎えに行ったのはその半年後のことだ。
「彼女は1人でボストンバッグを持って降りてきました。私の顔を見てニコッと笑ったわけよ。それから日本での新婚生活が始まったんです。嘘のような本当の話でしょ?」
順調な生活スタートかと思われたが…目を疑う光景
2人は高知市内の家で暮らした。前妻はやがて市内のフィリピンパブで働くようになり、息子が生まれ、夫婦3人での再婚生活は順調だった。
かねてから老後はフィリピンでの生活を考えていたため、中澤さんの意向で前妻と息子が先にセブ島へ渡ることになる。そして自宅を建てるための送金を始めた。
「仕事を引退して年金が下りるようになったらこっちに移住しようと思うてました。私の年金額は、一般的に言われる月額平均25万円にはとても及ばない。だから、持ち家があっても日本で十分に暮らせない。それやったらフィリピン人妻もいるから、持ち家を処分してフィリピンに家を買って生活するのが一番ええなあと思うてました」
65歳までの中澤さんの年金支給額は、月額換算で12万円。平均額の半分にも満たない。日本で生活ができなくはないが、老後を贅沢に楽しむ余裕はなかった。
一方のフィリピンでは、物にもよるが物価は3分の1~5分の1程度。たとえばコンビニで買う瓶ビール1本(330ml)は30ペソ(約80円)、マクドナルドのバリューセットが100~200ペソ(約270~約540円)などとなっており、経済成長を続けるフィリピンの物価は上がっているとはいえ、日本料理店やフィリピンパブ、あるいはゴルフ場に毎日通って散財しなければ、中澤さんの年金額でも十分に暮らしていける。
(※) 現地の物価は本書が刊行された約6年前のもので、フィリピンペソの日本円換算レートは2015年7月現在(1ペソ=約2.7円)のレートで計算しています。
だからフィリピンであれば少しは楽な暮らしを送れると思ってのことだったが、東日本大震災後、中澤さんがセブ島に住み始めると、前妻とフィリピン人男性がいつの間にか子供を作っていたことが発覚した。
見たこともない子供を抱きかかえている前妻から「友達の子供だよ」と伝えられたが、不審に思って問い詰めると白状したのだ。
結婚してから妻の実家へ毎月10万円の送金を欠かさなかった生真面目さを後悔したが、すべて後の祭りである。つぎ込んだ額は日本円にして500万円ほど。
間もなく婚姻解消を裁判所に申し立てた。フィリピンには離婚制度が存在しないため、婚姻の解消を裁判所に申し立てなければならない。代行業者などによると、手続きには通常日本円で50万円前後が必要という。
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/e850f5205a8f4f05567bf5c99ec653d65a794be7
結婚詐欺師(上)
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